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「スーパーマンには程遠いなあ」
コナーは顎に青あざを作った男前を覗き込んで、苦笑した。
帰宅したブライアンの頭の傷は包帯が巻きなおされ、看護士の話では少し傷口が開いただけで心配はないという。病院からそのまま帰るより、警官の制服を着て少し街を回って来いといわれて素直に警邏に出ていたらしい。そう言ったゴードンは頭を冷やせという意図で言ったのだったのだが、ブライアンは巡回している間にも顎が痛んで、イライラしていた。だが自宅に戻ればコナーが何やらご機嫌で、痛み止めが効いてきたブライアンも気分が上向きになってきた。
何だかわからないが、コナーが笑っていると自分も嬉しい。
「スーパーマン?」
「うん。すごくきれいな人だったな。背が高くて、少しお前に似ていたんだけれど」
台無しだ、とコナーの手がブライアンの顎を撫でる。その指先に気負いがなくて、ブライアンはされるがままになった。兄弟、というのが、今なら納得できる。とても自然な労わりの仕草だ。
「痛むかい?」
「コナーが触るから痛くない」
「何だそれ」
くすくす笑うコナーをブライアンは堪らなくなって、掬い取るように抱きしめた。
「コナー」
「うん?」
「ごめん」
「何が?」
「一昨日、殴った」
「うん。許すよ」
「無理にキスした」
「お前は昔からよくキスをしてきたから、お前からのキスはカウントしないことにしてる」
ブライアンはコナーの言葉に肩口に埋めていた顔を上げて、拗ねたように眉を寄せたが、そのことについては抗議しないことにした。それよりも大事なことがある。
「コナー」
「うん」
「思い出せなくてごめん」
「――お前が幸せになるなら構わないよ。たとえこれからのお前の人生に私が必要ないとしても、お前が幸せなら構わない」
「……俺は、コナーが笑っていてくれたら幸せだ」
ブライアンの真摯な眼差しに、コナーは両頬にキスを返して、そうして泣きそうな自分を叱咤した。
「本当はお前と落ち着いて話さないといけないんだろうけれどね、その前に聞きたいことがある」
コナーはブライアンの頬を両手で挟んでわざとらしく怖い顔を作った。
「お前、このキッチンの惨状は何なんだい?」
ブライアンはちらりとキッチンを見て、そして肩を竦めた。
「夕飯」
え、と驚くコナーの手を外し、ブライアンは立ち上がって、冷蔵庫から鍋いっぱいのマカロニらしきものを出した。
「トマトソース味」
「……何だろう、この混ざっているトマト以外の何かは…」
キッチンに散らばる品々とマカロニという単純な料理が脳裏で繋がらず、コナーは怯えた。
「お前をキッチンに一度も立たせなかった兄さんを許してくれるかい?」
「そうか。やっぱり俺は料理をしたことがなかったか…」
ブランドンはそう呟いたが、ビールがあれば乗り切れるとでも言わんばかりにコナーにグラスを押し付けた。
「……思い出してないけど、たぶん、俺は事件の前にもコナーにひどいことをしたんだろうな?」
ぴくりとコナーの手が止まり、ブランドンは瞳を暗くした。予想はしていたのだ。目覚めてから初めてキスしたとき、コナーの恐れようは尋常ではなかったのだ。普通兄弟から過剰なスキンシップがあっても、初めてならば「ふざけるな」と押しのければ済むだけのはずなのに、コナーはがたがたと震えだし、そして逃げようとした。
ブランドンは咄嗟にコナーを殴り、切れた口内から血がこぼれたことに驚いて逃げ出した。
「コナー。あんたが好きなんだ」
ブランドンはコナーに両の手のひらを差し出した。
「あんたを殴って、間違えたことに気付いた。たぶん、前にもそうしてあんたを傷つけたんだと思う。俺はただ、やり直したくて、あんたを忘れたんだと、そう思う。でも何回バカをやっても、あんたが好きなんだ。誰にも渡したくないし、あんたに笑いかけて欲しい」
「……ブランドン。最後まで、聞いてくれるかい?」
今の今まで何もかもをなかったことにしようとしていたコナーは、とうとう覚悟を決めて、泣き出しそうな目でブランドンを見た。彼が強張った顔で頷くのを見てから、唾を飲み込んだ。
「最初から、話さなければ。……お前を傷つけるかも知れないけれど」
コナーは視線をさ迷わせ、ブランドンの差し出した手に手を重ね合わせた。大きく厚い警官の手。指だけがひょろ長い自分の手とはまったく違う手。
「母さんは私を愛さなかった。父さんがいない間は私を無視したし、ご飯も作ってくれなかった。父さんも夜勤が多かったし、隣に住んでいた大学生が料理の仕方を教えてくれなかったら、飢えて死んだかも知れない。兄弟が出来ても母さんが食事を作ってくれるのは、父さんが家にいるときだけ。たぶん、父さんは気付いていたんだ。だから、君を……」
「いいよ。言って」
「君は、実の両親に虐待されて、ひどく怯えていた。母さんにも怯えていて、君には私しかいなかった。そして私にも君しかいなかった」
「他の兄妹たちは?」
「長くいた子もいたし、数ヶ月で他の家庭に引き取られる子もいたよ。父さんは新しい子をよく連れて帰ってきたけれど、正式に養子にしたのは君だけだ」
「母さんが死んだ後、――わたしが、君なしでは生きていけなかったから」
コナーはぽつりといい、顔を伏せた。ブランドンは急かしたい気持ちをぐっと抑えた。手を握るコナーの腕にまだ痣が残っていたので。
「ごめん。はっきりさせたいのは、ブランドンがわたしを愛してくれていることは、嬉しいんだ。でも、君はそれを口にする前に私を殴りつけた。今となってはあのとき君が何を怒っていたのかわからないけれど、私は、それで、君を護ってあげられなかったことを、知ってしまった」
「コナー?」
「幼い君を殴りつけた「あいつら」から、君を護ってあげられなかった」
机にぽたぽたと滴が落ち、俯いたままコナーが泣いていることに気付いて、ブランドンは慌てて彼の顔を上げさせた。
「小さな君にたくさんのキスとハグをあげたら、きっと君も大事なひとができたときにそうしてくれるって」
母は自分にキスもハグもくれなかった。だが隣に住んでいた大学生が、大切な人には優しいキスとハグをするんだよと教えてくれた。そうすれば、こっちが勝つんだと。
だが彼もゴッサムの路地裏で「あいつら」に捕まって、そして帰ってこられなかった。
「ゴッサムが優しいキスとハグだけになったら、ぼくらの勝ちなんだって」
「ねえ、コナー?」
覗き込んだ茶色の瞳は赤かったが、無垢な色しかなかった。
「俺のこと好き?」
「好きだよ」
「俺のキスは?」
「好き」
「ハグも?」
「うん」
「じゃあ、コナー。これから毎日俺が優しいキスとハグをしたら、俺のこと、恋人にしてくれる?」
「こいびと…」
「うん。兄弟をやり直すのは、やっぱりちょっときつい。でも恋人も家族だろう?」
そうかな、とコナーは小首を傾げたが、ブランドンの手が柔らかく、何度も髪を梳くので、とうとう頷いた。
「……うん、じゃあ、いいよ」
「よかった!じゃあそのマカロニ食べて。新しい家族の記念だ」
コナーは引き攣った顔をしたが、思い切ってマカロニらしきものを口に入れ、叫んだ。
「不味ーいーっ!!」