わたしを泣かせてください（７）

ブランドンは名前を決めるのが面倒だったので、臼氏からもらいました。
コナーもくりすちゃんからもらおうかな～…なんていうのは、なく、お兄ちゃんはコナーだろやっぱり！という思い込みでコナーです。でもくりすちゃんにわたがしプラスしたぐらいの甘さで。

 

 

　ウェイン・マナーの丘で頭を冷やしたコナーが、ようやく昼間に飛び出した店舗兼自宅に戻ると、そこは惨劇の舞台と化していた。トマトケチャップの瓶が床に落ちて飛び散っているのをはじめに。
「何これ…」
 　鍋が床に転がり、普段磨き上げられている調理台は何がどうなればこうなるのかというほどドロドロだ。小麦粉と卵と油か何かが混ざっているようだが、臭いがわからない今のコナーには断定が出来ない。ボールもレードルも無造作にシンクに突っ込んであって、誰かが料理をしようとして失敗したという状況はあるものの、人影はなかった。
「ああ。戻ったのかい」
表通りから入ってきたのはゴードン本部長で、コナーは目を丸くした。
「ジムおじさん！ブライアンは？」
「病院だよ。たいしたことはないんだが、頭の傷が出血して、念のために連れて行ったんだ。実は通報があって、エメットの店の前で若い女性が若者を殴ったというから、駆けつけてみればうちのバーバラも一緒だし、ブライアンは小麦で真っ白だし」
わけがわからない、と肩を竦め、ゴードンは子供の頃から知る若者の頭をわしゃわしゃとかき回した。
「殴ったのはメアリー＝ジェーン・リー。ブロンドの子だ」
「MJ！どうして？！」
「知っているなら、そこのパトカーにいるよ」
ゴードンが示した方へ顔を向けると、MJが警官を振り切ってコナーに飛びついてきて、コナーはよろめいた。
「コナー！」
「ああ。MJ…大きくなったね」
最後に見たのは四年前、MJの十二歳の誕生日だ。新しい養父母の下でかわいらしい誕生日パーティーが開かれているのを、遠くから見た。用意したプレゼントは手渡せなかった。新しい家族の愛情を前に、必要を感じなかったからだ。
「ブランドンの馬鹿が記憶喪失だっていうから心配したの」
「大丈夫だよ。記憶はないけれど、体は健康だから」
「違う！ブランドンなんかどうでもいいの。コナーがつらい目にあってないかと思ってきたの！」
MJは離れてからの七年のブランクなどなかったかのように、コナーの頬を撫でた。随分と小さかったのに今はすらりと足も伸びて大人の女性に近付いている。初めてエメット家に連れてこられたときの怯えた様子など今はもう微塵も窺えない。
「…きれいになったね、MJ」
「コナーはずっときれいだよ」
「わたしが？」
「コナーがあたしたちみんなを愛してくれたから、あたしたちみんな生きてこられたんだ。コナー」
MJは真っ直ぐにコナーを見つめた。その瞳がきらきらしていて、力強く、それだけで泣きそうになりコナーは奥歯を噛み締めた。
「コナーはあたしたちのヒーローだから、大きくなったらあたしたちがコナーを守るんだって決めたの。なのにあの馬鹿、コナーのこと忘れたなんていうんだもの！」
「それで、ブランドンを殴ったのかい？」
「……ほら、衝撃で思い出すかも知れないし！」
「いま思いついたんだね、その言い訳…」
コナーは呆れ、そして吹き出した。MJは昔からそういう子だったと思い出したのだ。
最初は小さく痩せて、ただ怯えるだけだった。彼女もはやり近親者から虐待を受けていて、見知らぬ大人が近付くだけでパニックを起こした。コナーは暗闇で寝られない彼女のために二段ベッドの下から歌を歌ってやった。狭いベッドには無理やり入ってきたブランドンがいて、二次成長の始まった彼がいるだけでコナーは狭く追いやられ、寝られなかった。
数年の間に別の子がエメット家に一次保護されたり、あるいは新しい保護先が決まったりして家族構成に入れ替えがあって、MJが明るく愛らしく成長し、そして新しい養父母が見つかったとき。
『心配しないでね、コナー。ほら、ゴッサムの夜にはバットマンもいるし！』
一人の夜に怯えたりしないかと案じるコナーに彼女はそういって、笑ったのだ。

「それで、ブランドンは無事なの？」
鍛えた警官のブランドンを十六歳の少女が殴ったとしても知れているだろうが、いまブランドンは怪我をしている。MJの登場でつい安否の確認をし損ねたのだが。
「そもそもあのキッチンの惨劇は何なんだ？」
その疑問に答えられる人物はいなかった。