わたしを泣かせてください（４）

何か意外に長い…。。
あー…もし、あの２ページの萌えコミックをご存知なかったらアマゾンの「抜粋」ページでごらんください。
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　もしあのとき、そうしていたら――と、思うことがないとはいえない。


「坊ちゃま、――旦那様。お客様でございます」
食事中にアルフレッドが声をかけてきて、ブルースは小首を傾げた。どうでもいい客なら追い返しているし、仕事の関係者なら待たせるはずだ。
「ミスタ・エメットと仰います」
「ああ。会おう」
コナー・エメットの店での昼食を途中退席したブルースは自邸に戻って、アルフレッドの作った軽食を摂っていたのだが、その彼が追いかけてきたというなら。
「ウェインの小切手の支払いができなかったのか？」
ブルースは軽口を叩いたが、客間に通されたコナーは汗だくで、泣き出す寸前の顔をしていた。
「……また、何かひどいことがあったようだ」
「お返しします、Sir！」
コナーは小切手を突き出し、ブルースに押し付けると、堪えきれずにぼろぼろと涙を溢した。ここまで来る間握り締めていたのか、くちゃくちゃになった小切手をブルースはアルフレッドに渡し、コナーを座らせた。
「私は面倒見のよい方ではないがね、君の父上に免じて話を聞いてあげよう。一般的に苦痛というのは人に話すと多少なりと気が紛れるそうだ」
コナーは滲んだ視界でぼんやりとブルースを見ていたが、こくりと頷いた。ブルースは長身で均整の取れた身体をしているが、スーツを着ると着痩せして見えるので、コナーにそれほどの威圧を与えない。コナー自身も１８０センチばかり身長があり、小柄ではないのだが、警官であるブライアンは鍛えており、コナーよりも一回り大きい。小切手のこと以外にブルースの元に来たのはそういう理由があったのかも知れない。
「それで、どうして私にこれを返すのかな？」
ブルースは顎に手をつき、アルフレッドがトレイに置いた小切手を指差した。
「わ、私にはもう、いただくことが出来ないからです」
「どうして？」
「きっともう、私は、料理人に戻れません」
コナーはひくりと息を呑み、咳き込んだ。アルフレッドがタオルを差し出す。ブルースはちらりと窓の外を見た。
「私が料理を始めたのは、弟たちのためです。母のためでもあった。拙い食事でも私が作ればみんな喜んで食べてくれた。わたしは、誰かの、その人の、喜ぶ顔がみたくて」
「もう誰も喜んでくれないというのかい？」
「私は一人ぼっちです」
コナーはブルースを見つめたまま、抑揚のない声で告げた。瞬きもない瞳からこぼれた涙が膝のタオルに吸い込まれていく。
「ブライアンは私を、私と過ごした日々を覚えていません。もう父も母もいない。他の子供たちもみんな新しい人生を歩んで、私のことなんて忘れたでしょう。だったら、私は独りで、誰のために料理を作れば？」
「君の料理なら私が喜んで食べるが、君が言いたいのはそういうことではないのだろうね」
ブルースは苦笑すると、首を傾げて窓の外を眺めた。
「もし、あのときそうしていたら、と思うことがないとはいえない」
もしあのとき。
「例えば両親が殺されたあの夜に、私が劇場に行こうなどとねだらなければ」
ブルースの言葉にコナーはぴくりと身を震わせた。
「あるいは田舎でキャッチボールをする少年たちを眺めるだけではなく、車から降りて声をかけていたら」
だが惨劇の夜のあとでは彼らの快活さはただひたすら眩しいだけだった。
「私の人生は変わっていただろうか？」
ブルースはコナーの顔をみて微笑んだ。
「ああしていれば、こうしていればと後悔することの無意味さは、君も知っているだろう。君の弟が君を不要だというならば、君は新しい家族を探せばいい。でもそうではなく、彼も君も混乱しているだけなら、君たちは落ち着いて話し合うべきだと思うね」


未だ放心した体のコナーを見送った後、ブルースは天井に向かって毒づいた。
「このお節介の恥知らずの覗きめ。中途半端は許さんからな！」