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20080721
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バーティと空飛ぶ男。

 ぼくは一目惚れをしたことがない。たぶん、だけれど。
 もちろん子供の頃の話は別だ。ぼくだって好きな女の子にハッカ飴を渡したりする健気なこともしていた。でもブルース・ウェインのように恋多き男じゃない。
 たしかに出会いがしらに女の子と婚約ってな話はぼくにとっては日常茶飯事で、のっぴきならなくなったそれをぶち壊してくれるのは全能なるジーヴスの仕事だ。ぼくは彼の主人として相応しいかどうか、自信をもってはいえないけれど、しかし彼が今回の、婚約解消のもたらしたアメリカ旅行という名の逃避を、そこそこ満喫していることはわかっている。
「……またパパラッチされてる」
 珍しくジーヴスがタブロイド紙なんて軽薄で娯楽的な読み物を渡してきたと思ったら、一面はブルース・ウェインの新しい恋人の話だった。アメリカの新聞業界には疎いからこれが全国紙なのか地方紙なのかさえもわからない。でもブルースのとびきりの笑顔が実は本物じゃないってわかるのは、きっとほんの一部の人間だけだろう。
「ウェイン様より今晩のミュージカルへのお招きがございますが、お返事してよろしゅうございますか。ご主人様?」
 ジーヴスの慇懃な問いかけにぼくはタブロイドから顔を上げた。
「メトロポリスでかい?」
「左様で。本日、所用にてメトロポリスにお越しとの由にございます」
「ふうん。行くって返事してくれ、ジーヴス。君はどうする?」
「さて?」
「君も行くならチケットを買ってあげるよ?」
「お心遣いありがたく存じます。もしよろしければ近くの小屋にかかります、別の演目をお願いしてもよろしゅうございましょうか?」
「ああ。かまわない。準備は頼む」
 ふと顔を上げて窓の外を見ると、そこには鮮やかな赤と爽やかな青が結構な比率で配分された衣装をまとった男が浮いていた。向こうもぼくと目があったことに驚いたようだ。きれいな青い目が、まるで空を透かしてみているようなそれが、まん丸に見開かれている。
 そう、話を巻き戻しておくとここはメトロポリスのホテルで、最上階で、予約してくれたのは件のウェイン氏だ。彼はぼくのアメリカへの逃亡計画を聞くと喜んで段取りを整えてくれた。
 それはさておき、つまり、高層ホテルの最上階の窓の外に大英帝国の軍人もびっくりな配色の男が浮いているのだ。この驚き、推して知るべし。
「ジーヴス。君、スーパーマンを見たことがあるかい?」
 電話を掛けていたジーヴスは受話器を握ったまま、ほんのわずかばかり目を見張り、そして沈黙に驚いた電話の向こうの誰かに「失礼いたしました。少々お待ち下さい」と詫びた。
「ウェイン様ですが、お出になりますか?」
 その言葉に頷いた瞬間、窓の外のヒーローは顔色をかえて飛び去った。

「ブルース!ぼく、いまスーパーマンをみたよ!」

 受話器にそのまま喜びを吹き込むと、しばしの沈黙と、ややあって「……すまない。来客のようだ。また夜に話そう」と電話を切られた。
 通信が途切れる前に誰かの悲鳴が聞こえたのは、気のせいだといいのだけれど。
 

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